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今日も平戸で庭ぐらし 殿様が通った道
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    突きあたりを左に曲がるとプティ・タ・プティの方へ。

     

       

     

    下の写真右手前は、御存じプティ・タ・プティです。

     

    プティの前の道は、実は、江戸時代からの道。

     

    その道をずっと行くと、最教寺の方に通じるのですが、

    道の入り口は狭いものの、その先は開けて、広い道になります。

    その広い道は、「追い廻し」と呼ばれる馬場だった所で、かつて馬の訓練や運動をさせ、又は馬に乗って弓を射る稽古をした場所。

    平戸には、馬場であったところが何カ所か残っていますが、中でも「追い廻し」は、当時の状態をよく留めています。

     

       

       追い廻しの馬場

     

    さて、この道は、単に「追い廻し」に馬を連れていくだけの道ではなく、延々と平戸南部・志々伎(しじき)へと繋がる道でした。

     

    殿様が、陸路、志々伎神社へお参りをする際、この道を通って行ったと言われています。

     

    近年は、車が通る別の道が出来、ただの路地のようになっていますが、かつては平戸の南北をつなぐ主要道路でした。

    道路の両脇は、かつての面影が残されていませんが、道路の幅はおそらく旧態のままでしょう。

    今の感覚では、とてもせまく目立たない道ですが、ここを殿様や多くの人々が通っていたことを思うと、何となくいとおしい気分に。

     

     

     

     

     

     

    | 平戸むかし道 | 21:42 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
    今日も平戸で庭ぐらし 瘤女の坂(こぶじょのさか)
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      岩の上町稗田の武家屋敷が立ち並ぶ(正確には「立ち並んでいた」通りの先にある坂。
      「瘤女の坂」という名前が付いています。
      名前の詳しい由来が伝わっていないのが残念ですが。

         

      この坂の入り口。
      左に入ると「瘤女の坂」。
      昔は石段のある泥道でしたが、いつの間にか、コンクリートで舗装されていました。
      雨の後、ぬかるんでいて危なかったですものね。

      「瘤女の坂」の上から下を見下ろしたところ。

         

      荒れている、と言えば荒れているのですが、私、この道、好きですよ。
      昔の平戸の道って、こんなだったのだろうな、と思わせてくれる道ですもの。
      両側は、竹がかなり入りこんでいますが、椿などの常緑樹がちらちらと。
      実は、我が家の家の前の道でも、ここまで狭くはなかったものの、こんな感じだったらしい。
      そう思うと、なお一層の親近感。

         

      「瘤女の坂」は、まだ上へ伸びる続きがありますが、平戸大橋が作られた際、大橋へと通じる道を整備。
      この時、「瘤女の坂」は、途中で寸断されました。
      寸断された先がこの階段道。
      下から直線で上がってきた坂が、ここで左にカーブしており、この階段を上がったところで、再び右に折れてまっすぐ上に。
      山九株式会社の錬成館の方へと通じます。


      株式会社山九は、本社を東京都中央区勝どきに置く、大手総合物流企業。
      創始者が平戸出身。
      そのうち、書きますね(忘れなければ)。


      さて、「瘤女の坂」、ですよね。
      昔むかしから、この名で通っている坂です。

      多分、というか絶対、というか。
      瘤がある女の人が住んでいたのでしょうね。

      瘤がどこにあったのか?
      昔のことですから、御本人、引け目を感じながら生きていたのかもしれません。

      こんなことで、100年も200年も言われ続けるとは思っていなかったかもしれません。
      ちょと、耐えられないなァと思わないでもないけれど。
      ん?待てよ。
      ひょっとしたら、瘤があったかもしれないけれど、人々に親しまれた女性だったのかも。

      そのような思いも、あながち間違いではなさそうな。
      そう思いついたら、余計に親近感が増して、いつまでもこの佇まいで残ってほしい、と願ごうておりますよ。


      今日は、節分。
      最教寺では、「子泣き相撲」が行われました。
      「子泣き相撲」の様子は、左のカテゴリー平戸歳時記をご覧ください。





       
      | 平戸むかし道 | 18:16 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
      今日も平戸で庭ぐらし 平戸むかし道
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                         ↑   
        平戸城下の図(江戸末期、原本は松浦史料博物館蔵)、松浦史料博物館前の道沿いにある大ソテツの辺り、です。
        中央やや右に寄ったところにスパナのような形の部分がありますが、お分かりになりますでしょうか?
        ↑の上の方です。
        (スマホの画像を取り込めるようになり、ルンルンだったのに、印の付け方がわかりませぬ。ご不自由をおかけいたしまする)


        スパナの持ち手の下の方にある石垣。

           

        きっちりと石を加工した付き合わせが美しい。

        平戸では、野面積みといわれる、自然石をそのまま塩梅しながら積んでいく石垣が多いですから、
        こんなに緻密に組んでいるところは、城下では珍しいように思います。
        私の個人的なランキングでは、上の部。

        この石垣の角が、スパナの部分の丸い方へに上っていく入口になっていて、細い昔ながらの上り道が始まります。

           

        上っていくと・・・
        右手は、昔、武家屋敷だった所。
        マキの生け垣が美しい。

        そして、さらに上っていくと。

           

        緑濃い切り通し(高い所を切り開いて、道を造ったところ)。
        階段は、昔は石段だったのかもしれませんが、今は、コンクリートに。
        とても涼しい風が吹き抜けていました。

        平戸中学校へ通う子供たちは、この道をよく利用しています。
        今日は、まだ夏休みですから、ひっそりと。


        平戸には、まだまだ昔の面影が残る道があちこちに残っています。
        少しずつ、お見せできるなら、と思っています。






         
        | 平戸むかし道 | 15:45 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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