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今日も平戸で庭ぐらし 紙漉きの里探検記その3
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    平戸市中野地区にある「紙漉きの里」。

    ここは、紙を漉く人たちがかつていたのかもしれませんが、それよりももっと古い時代には、朝鮮から連れてこられた陶工たちが窯を設け焼き物を焼いていた所です。

    秀吉の朝鮮出兵の頃のこと。

     

    この地で朝鮮の陶工たちは、およそ50年間、器を焼いていたと言われています。

    窯跡が「紙漉きの里ふれあい施設」の上の方に残っていて、今回は行きませんでしたが、以前行った時には史跡らしくなっていたと記憶しています。

     

    陶工たちは、半世紀中野の地で焼き物を焼いた後、より白い陶土を求めて平戸藩内の三川内へ移り、有田焼へと発展していきます。

     

     

     

    平戸の北部市街地のはずれに高麗町、という町があります。

    町名の通り、朝鮮から連れてこられた陶工たちが住んでいた地域です。

    徒歩が主な移動手段だった時代に、高麗町と中野の窯とはかなり遠く離れていて、両地域がどのような関連を持っていたのかは、不明なのですが、高麗町には、朝鮮陶工たちのお墓がいくつも残っています。

    祖国に帰りたいと願いながら異国の地で亡くなったこと思うと胸が痛みます。

     

    以前「平戸の椿は、よい椿」というブログも書いていたことがあり、その中で高麗町の事を少し書いていますのでよろしかったらご覧ください。

     

     

    2016年、平戸の中野焼を含む有田、波佐見、三川内など磁器発祥に関わる地域は、「日本磁器のふるさと 肥前」として日本遺産に認定されました。

    「地方創生に係る佐賀県と長崎県の連携協定」の一環。

     

    平戸の中野は、生産地としての歴史は陶工たちの三川内移住に伴い閉じられてしまっているのですが、数年前、中野焼きのコレクションが平戸市に寄贈された事でもあり、市はそのほかの史料の展示も一緒に出来る収蔵館を設けたらよいのに、と思っています。

    設けたらよい、というより、設けるべき、かもしれません。

    コレクションは、とてもよいものですし、しまっておくのはもったいない。

    焼き物を見て、高麗町のお墓も見て、窯跡を見る、というルート開発は日本遺産になったのならやるべきでは?

    収蔵館は、新しく建物を建てなくても、商店街に空き家があるのではないかしら。

    そのようにすれば「地方創生」になる可能性が出来るのに。

    とオバサンは、1人思ったりしますけれど、「紙漉きの里ふれあい施設」という建物と同様、ただ作るだけでは税金を使って建設に携わる人だけが潤う仕組みから抜け出すことはできませんね。

     

    「地方創生」という言葉も、何やらホコリをかぶり始めたような昨今。

    どうしたらよいのだろうね。

     

     

    でも、ですよ。

    「紙漉きの里」という風光明美な土地に、新たに息を吹き込もうというO君の取り組み。

    大変だとは思いますが、堅実に計画的に着々とやっているよう。

    こちらの方は、応援したいですね。

    がんばれ〜っ!

     

     

     

     

     

     

     

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