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今日も平戸で庭ぐらし 第9初演から100年
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    ベートーベンの交響曲第9番が日本で初演奏されて今日で100年だったそうです。

     

    今日の朝日新聞2面の「ひと」欄には、ひときわおきれいな女性の写真があり。

    どんな方だろうか?と読んでみれば、第9初演以来100年、という記事だったのでした。

     

       

     

    ベートーベンの交響曲第9番の初演は、徳島県鳴門市にあった板東俘虜(ふりょ)収容所にて、捕虜として収容されていたドイツ兵によって行われました。

    第1次世界大戦の頃のこと。

     

    今日の新聞でお見かけした女性は、当時捕虜として収容されていたドイツ兵のお孫さんという方。

    初演の地・鳴門市で開催される100周年記念コンサートに600名の有志と共に合唱に加わるため来日されたそう。

     

     

    当時、ドイツ兵を収容する施設は、ほかにもあり、九州では福岡県久留米にありました。

    久留米市では、数年前に久留米俘虜収容所に関する調査を行い、その報告書が4巻(だったと思う)作成されました。

     

       

       (2〜4巻)

    この報告書を読むと、当時のドイツ兵の能力の高さ、収容所の捕虜に対する人道的な扱いなどがよくわかります。

     

    ドイツ兵は、将来への希望を失うことなく、終戦後すぐに社会に復帰するための鍛錬を怠りませんでした。

    又、収容所で楽しむ事も忘れず、演劇をしたり、演奏会を開催したのでした。

    しかも、演奏会の楽器のほとんどが手作りでした。

    そして、特筆すべきは、それらの行動が許されていた、ということです。

    報告書には、まだ武士道精神というようなものが日本人の中に残っていたからだ、と書かれています。

     

    因みに、久留米での第9の演奏は、1919年12月3日のこと。

    場所は収容所内ではなく、久留米高等女学校で生徒たちの前で演奏されました。

    しかもこの時は合唱付きで、終戦を迎え収容所が解散する直前のまさに「歓喜の歌」であったと報告書に記されています。

     

       

      (久留米高等女学校でのコンサート風景

      「久留米市文化財調査報告書第195集『ドイツ軍兵士と久留米』」より

     

    第9の初演が板東収容所なら、一般の人の前で第9が演奏されたのは久留米収容所であった、と久留米ではよくそういう話が出ますから、来年あたり演奏会があるかもしれません。

     

    今回徳島県鳴門市でのコンサートのために来日したドイツ人捕虜のお孫さんという女性。

    現在は、テレビ番組の脚本などを手掛け、ベルリンでコンサルタント業も営んでいるそう。

    現代ではテロなどの容疑者に対して過酷な扱いがされていることに鑑み、「すべての捕虜は、板東のように扱われるべきだ」と語っています。

     

    当時日本人は、ドイツ人を人として尊敬の念を持って接したといわれています。

    そのためか、日本人とドイツ人の関係は良好に今に至っています(第2次世界大戦のドイツはとても悲惨でしたが。)

    収容されていたドイツ人には解放後、日本に残って日本の発展に尽くした人も沢山いました。

    やはり、人と人の関係は、衝突をすれば先々禍根を残し、よく接すればそのあとも大過なく推移する可能性を生む。

    そう思いますね。

     

     

     

       

     

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